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「おもろいヤツ」ファイル1:山田真平

※文中ではペイオ表記

 

ペイオとの出会いから取材まで


 個人的な話から始めると私とペイオとの出会いはトビタテ留学ジャパンの2次面接。奨学金をかけてそれぞれの留学計画をプレゼンするのだが、そのグループで一緒だったのがペイオだった。当日の私といえば、誰よりも多く発言でき勝利を確信して浮かれていたのだが、実際に裏で回していたのはペイオで、彼は巧妙なパスワークにより各々の力を発揮できるフィールドを作っていたのだ。というのも後に聞いた話、彼は一人一人の特性を瞬時に把握しこの作戦でいくと決めたようだ。自分の浅はかさを恥じたい(笑)。

 と、出会いはこんな感じで、それからというものの普段からナメた口調で話してしまう私だが、実は本当に尊敬してやまないペイオ(22歳)の取材には非常に緊張した。なぜなら私が取材するには彼は「オモロすぎる...!」。

図らずともしょっぱなからハードルをあげてしまったが、内容としては間違いなく面白い記事になった。「文字多い!」と思ったそこの君。それはすまない。これ以上削れなかったのだ。なんなら二度目の対面で距離感に違和感のあるツーショットも割愛したくらい。



 


「何を勉強するにも全部一緒で、スマホについて研究するのも人間について研究するのも一緒なんよ」



 ペイオと話していて常に感心するのがその知識量。どんな話にもついていける。逆に彼の話していることは知らないことだらけ...なんてこともしばしば。(一つしか歳違わないのに...!)それほどの知識をペイオはどのように収集するのだろう。しかし実際に訊ねてみたところ彼からは意外な回答が返ってきた。

 「よく、『どんな話でも対応できますね』って言われるんだけど、別に僕知識があるわけではなくて、むしろ知識はないのよ全然。でも抽象度をあげてしまえば全部同じ話なの。例えば人間を知ろうと思えば人間を研究するのもいいんだけど、自然界こうなんだったらじゃあ人間の社会の仕組みもこうだよねみたいな置き換えができるの。だからどの話にも対応できるっていうのはそこで、僕が土を研究しているのも教育の一貫だと思っているし、もっと言えば人間の勉強だと思っているし、地球の勉強だと思っているから、別に大きく逸れているつもりもないんだよ。」


PHOTO : 小学生の頃にはパソコンで操作するラジコンに魅了され、プログラミングスクールに通う。自身を「土と生きるエンジニア」と称し、ITだけでなく農業、否、広い意味で土をも愛する人間である。「全ての根源は土にあるんだよ。」そう語り、アダム(人間)はアダマー(土)から生まれたというプチ情報まで出してきた。

 


「先に考えすぎて昔はなかなか動き出せなかった」


 何を勉強していても全てに繋がる、と語るペイオだったが、やはりその根底には人並み外れた探究心が存在する。しかしその探究心ゆえの意外な過去もあるようで。

 

 「理由もなく怒られたりするのはすごい嫌いだった。やっちゃいけないよとか、何かをしなさいとかに対して、どうしてそうなのかって説明されない限り動けなかった。片付けなさいとかも、僕はずっと『なんで片付けなきゃいけないんだ』って考えてたの。高校でもそうだった。とりあえず大学に行きなさいってすげー言われたけど、まじで意味がわからなくて、なんでっていうのをずっとみんなに聞いてた。今もめちゃくちゃ考えて、完全な答えを出して、それから行動する。けど行動が早くなったのはその答えを出すスピードが尋常じゃなく上がったからだと思う。例えば大学に行かなきゃいけない理由を僕は2、3年考えてやっと出したんだけど、トビタテ受けるって一個のアクションをとるのに10分とかで答えが出せるようになった、といった感じで、たどり着くまでのスピードが上がった。」

 そう淡々と自身の過去を語るペイオだが、大学にいく理由を2、3年も考えるというのはどういうことだろうか。

 「大学に行く意味を探していたんだけど、今までの生活で見つからなかったっていうことは、何か変えなきゃいけないなって思ってた。だから、やれることは全部やったし、少しでも変えられるところがあったら変えてた。もちろんいい方にね。でもなんで大学に行きたいかどうかわからないかっていうと、それは大学について知らないからで、じゃあもう大学生と住めばいいじゃんってなって家を16歳で出たんだ。」


 PHOTO : 大学にいく目的を求めて大学探検。高校にはあんまり行ってなかった。平日に大学生の話を聞きたかったからね。

 


「将来何しようかなーって探してた」

 



 大学にいく理由探しをしていた彼は、考えた末、ひとまず大学に行かない道を選ぶ。そして次に待っていたのは「将来何をするか」という問い。

 「わらしべ長者って知ってる?僕はその話にすごい惹かれて、『これめちゃめちゃ面白いな』と思って。駅でさ、コンタクトのアイシティがポケットティッシュ配ってるじゃん。あれをもらって、iPhoneにしたら面白いよなってなって、街ゆく人に『今わらしべ長者をしてて。これをiPhoneに変えようと思ってるんです』って話して、物々交換をしてったのよ。その目的は別にiPhoneにすることじゃなくてとにかく人に話しかけたかったからやってた。わらしべ長者はその口実に使ってただけ。別に本当に変えようとは...まあ願わくばとは思ってたけどね(笑)。そこで、面白いって思ってくれた人にご飯に連れて行ってもらって食事代浮かせたりとか、興味を持ってくれた人のお家に泊めさせてもらったりとか、っていうのをして人脈を広げた。人脈を広げたってよりは面白い人を探してたのかも。変われるチャンスみたいなのを探してた。で、結局そのわらしべ長者は5回くらいティッシュにリセットしたんだよね。ある時はとにかくめっちゃお腹が空いちゃったなぁと思って、駅前のビアードパパで買い物終わりの人に、『すいません、わらしべ長者してるんですけど』って話をして。そしたらその人、買った6個入りのやつを全部くれたんだよね。『あー、なるほど、こういうのもいけるのか』って一つ一つの経験から気づいてった。  で、シュークリームは食べちゃってもうないからさ、またティッシュをもらってっていうのを何回かして、その日の1日食事券と交換してもらったりしてたね。それは、高校三年生の時。」

 それでも将来何をするのかという答えは出ず、次にペイオは日本を回ることにした。

 「親父がバイクで日本を一周してみたかったって話をしてくれて。行きたいところがあるならいけばいいって言ってくれたんだよ確か。で、最初に行ったのは群馬だった。その時たまたまテレビでやってた観光名所かなんかに行ったんだよな。でもなんもなくて。なんもないってのは、名所がないっていうのじゃなくて、得られたものが何もなくて、そのまま帰ってきて、あ、これじゃあダメなんだって思って、次に長野に行ったんよ。それはひたすらスキーをしたくて長野に行ったの。ペンションに住み込みで働いて、日中働いて余った時間ずっとスキーを滑るみたいなのを一ヶ月してた。で、これ楽しかったな、と。めちゃめちゃいろんな経験もできたし、好きなことひたすらできたし、しかもお金もたまるし、フリーターが最強だと思ったの。まぁ少し、社会的にもフリーターってどうなんだろうとは思ったけど、お母さんに『フリーターめっちゃいいわ』って言ったのよ。そしたら、『あ、そう』って感じで(笑)。でも『それでいいの?』って言われたの。まだ大学にもいけるし色々できるけど、フリーターは最終的にできるよって。色々失敗しても最終的に残しといて、むしろ何にでもなれる最強の道を目指したらいいんじゃないかみたいな。考えてみれば僕がフリーターを目指した理由は結構妥協だったんだよね。で、僕はプログラミングとかも好きだったからそっちの道とかもやってみたら?って言ってくれて、じゃあもうちょっといろんなこと調べて見ようかなってなったの。」


 PHOTO: わらしべ長者時代に家に泊めてくれたお兄さん

 

当時はお金に囚われていた


 小学生の頃プログラミングスクールに通っていたこともあり、エンジニアという仕事でも食べていけるほどの実力を持ち合わせている彼も、苦労した経験をたくさんしてきたようだ。

 「当時僕は結構お金に囚われていたんですよ。とにかくお金がない、と。それで株でも何でもやってやろうと思って、FXのセミナーとか色々行ったんだよね。そんな中で60万とか取られそうになったこととかもあって。色々調べてちょっとおかしいぞ?って気づいて身を引けたんだけど、60万持ってないせいで始められないのはどうしても悔しくて、ちょっと自分でやってみたの。でもそれがあんま楽しくなくて。で、仮にも100万円もらったとして、何に使うかって言われたらそんな別に使い道ないし、だったら先に稼ぐ方法よりどういう風に学ぼうかなと思ってやめたんだよね。そんでそっからお金の価値観がガラッと変わって、自分が本当に欲しいものって、余るほどの資産があったとしても本当に欲しいものなのかって考えるようになった。なんか、お金以外のものの測り方みたいなものがそこで身についたのかな。今までお金がないからって諦めていたことがあったんだけど、お金以外の要因で諦めていたことも結構あったなってことにも気づいて。それで、お金はないけどできる方法を探したほうが面白いんじゃないかって思って始めたのがルームシェアだったかな。僕はやっぱり一人暮らしをしたくて、どうしても自分の家賃は自分で払わなといけないって思ってた。だけど、それならお金ある人に住まわせてもらえれば僕タダで住めるじゃんって思って、居候してた(笑)。ギャグ通貨<*>の話したじゃん。まさにあれの原点だと思うけど、もう掃除もします、面白い話もするから泊めさせてくれって住んだりしてたね。」

 それでもしばらくはお金に困ることもあったようで、ルームメイトの人にご飯をもらい、その人の目を盗んで冷蔵庫から醤油をかけて食べていたこともあったのだとか。

取材を進めていく中で、ペイオはアルバイトをしたことがないのだろうか、とふと気になった。学生のうちはお金がなければアルバイトをするのが「普通」だ。こんなに変わった学生はやはりアルバイトなんぞ非効率なものでは稼がないのだろうか...。

 「あ、僕はちゃんと時給千円のバイトもしたからね?(笑)一番最初に始めたのラーメン屋だから。ラーメン屋いいなって思ったのは『あ、これ飯代浮くな』と思ったから。でも、何もしてない時間っていうのがあるのね。で当時特に色々動いてた時期だったから何もしてない時間っていうのが耐えられなくて、狂いそうになっちゃって。まあ結局週3でラーメンなんか食べてるから体ぶっ壊れてやめたんだけど。その後も派遣バイトとか色々してたよ。でもある時、派遣のバイトでルンバの箱を作る仕事をしたの。で、ルンバの箱を作るのに社員さんと派遣が一斉にやるんだけど、1日で社員は800箱、派遣は300〜400くらいみたいな。で俺初日で1200作ったのよ(笑)。その時に、『いや俺社員より働いてるのに時給千円かよ』って。で、これは俺のやる仕事じゃないと思って、それからバイトはしてない。俺が最後にやったバイトはルンバの箱作り(笑)。そんでその後に始めたのがプログラミングスクールの開業。まあなんかお金以外で還元できる仕事をしようと思って始めたよ。子供達に投資して、目に見えてわかる社会貢献だなって思えたし、お金以外の幸福が得られることへの喜びが強かったな。」


<*>ギャグ通貨:ギャグは通貨として機能する。もしお金が無くても、誰をも笑わすギャグがあれば衣食住と交換してもらえる。「この時人類は、このギャグ通貨がのちの世界通過GAGになるとは知る由もない。」



 PHOTO : アートモデルで居候していた頃もあった。

 


あれが僕の人生の中で一番大きな転機だった


 迂用曲折を辿り、「学生のうちはお金を稼ぐ時間ではない」「お金は最低限あればいい」というマインドに変わったペイオ。しかしそこにある事件が起きる。

 「日本には売ってないんだけど『コルナゴ』っていうイタリアの有名な自転車があって、それはだいたい60万円くらいするの。昔電車賃ない時にそれを10万円くらいでパーツ取り寄せて作って、ひたすらそれで移動していた時があって。横浜まで7時間もかけて行ったこともあった。でも結果的に、それ盗まれちゃったんだよね。それは高3の時だったな。それと同時期に僕の中でずっとぐるぐる悩んでいたことがあって、それがどうしても解決できなかった。その二つがあって、正直発狂したんだよね。まじで発狂した。「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉい!!!」って。でもその時に、絶対なんかのメッセージだなって思ったの。僕の中で一番大事だった60万という総資産の自転車が盗まれたということは、そのように自分が大事だと思っていたものを自分の元から取り去らなきゃいけない時なんだなと。で、頭の中でずっと回ってたある思考のある部分を取ってみたら、全部解決したんよ。パパパパパうわあぁーって解決して、これをするための60万だったのかって分かった。そこで腑に落ちたの俺は。だからチャリがなくなったのも、まあ仕方なかったなと。でもその答えを出すのには三ヶ月かかったね」

自作のコルナゴ。小指でも持てるくらい軽いようで、一番重いパーツはペダルらしい。

 その後も何度か自転車が盗まれたこともあったそうだが、彼は今でも強く生きている。幼少期から変わらない探究心を持ちつつ自分の人生に真正面からぶつかってきたペイオ。今ではなんとなくその軸も定まってきたようだ。と言っても出会って三ヶ月しか経っていないのだが、自身の過去を語る現在のペイオの姿は、過去にしっかりと「意味」を付けられ、前に進んでいるように見えるのである。あぁ、取材楽しかった。



 PHOTO : どこまでもチャリで行く。



↓画質改善して乗せ直すかも...




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