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File1:かいかい

 筑波大学に1年間在籍したのちアートを学びにオランダのライデン大学に入学したかいかい。好きなことに貪欲で、「行動力」なんていう一言では彼女の本当の凄さを説明できやしない。普段話していても基本ダルめだから、直接知っている人なら「本当に情熱的?」って思ったりするのかな(笑)。

 でも炎って、赤い炎よりも青い炎の方が熱いっていうでしょ?かいかいって、まさにそんな感じ。



 

自由なアート


 かいかいの過去って、語るにしたら間違いなく面白い。しかし今回の記事はアートにフォーカスしてみた。それは「アートは彼女そのものだから」とか「過去じゃなくて現在に意味がある」とか、そんな大そうな理由じゃないよ。これは単純に私とかいかいの日常会話を記事にしたもの。元々取材として話を聞いていたわけじゃないから、彼女の過去なんてもちろんすっ飛ばしてしまったのさ。でもかいかいの物言いからでも、彼女の面白さって伝わるんじゃないかな。ま、ジャッジなんてしなくていいからさ、今回はアートに少しでも親しみを感じてくれると嬉しい。きっとそれが彼女の伝えたいことだから!

 

 「コロナでみんな気づいたんやないかな。家の中で孤独な自分を救ってくれるのは紛れもなくアートだということを。イマジネーションでどこまででもいける。動けない分、脳みその中で泳ぎまくるんだよ。」


 確かにコロナで自宅待機要請が出てから、みんなの生活はこれまでになく「文化的な」ものになっているようで、最近ではインスタのストーリーが穏やかなカルチャーライフであふれている・・・!特に「あつもり」なんかは発売のタイミングが自粛要請と被ったのもあり、相当売れているよう。しかしゲームもアートの一種と言えるのか?


 「映画とか本は主に誰かの書いた過去を経験しているでしょ。舞台とかは役者の見せる現実を共に経験するもの。でも、ゲームだけは唯一自分の意思によって未来をつくれる場所。ゲームの中の行動って現実的で未来を創造するのと似たプロセスやと思うねんな。でも、ゲームを楽しめる人が多いのは非日常的やからかもしれん。なんでも自由に思い描けるのはゲームという外枠があるからで、みんなはそのなかで創造しながら動き回ってるけど、ゲームのシステムの外に出たら完全に崩れる世界やん。これはマジックサークルと呼ばれたりするんやけど、私は脳みそもゲームのような感じで自由に泳ぎ回れる場所なんやと思う。そして、頭の中で想像したものを現実世界に創造できる自由で最高な場所。もちろんゲームほど現実は単純でハッピーじゃないと言われるんやろうけど、いったん今自分を苦しめてる、もしくは制限しているリミッターを全て外して脳みその海で泳いでみて欲しいなぁ。」

 

 脳内もゲームと一緒で、想像力次第で何でもできる。でもここで私はゲームとアートは別物であると感じた。ゲームは完璧だもの。あらかじめ設定されているもの以外は生まれない。一方アートは逆で、不完全であるからこそ美しい。しかしそうであるなら私たちは不完全なアートに想像力を膨らませていくらでも楽しめるはずなのだが、それにしてはアートがとても遠い存在に感じてしまう・・・。私たちは不完全なアートの楽しみ方を知らないのだろうか。すると彼女は「完璧なアートって何?」と尋ねてきた。この質問はアート業界からしたらおそらくめちゃくちゃ難しい問題なのだろうけれど、個人的な意見を述べると、私は写実的な絵画を見た時に「完璧なアート」を感じる。それはもう写真にしか見えないほどに繊細で美しいんだもの・・・!しかし私はそんな「完璧な」アートに触れるたびに「自分には作れない」と感じずにはおれない。すると彼女はこう返した。



そう、彼女にとって美しさとアートの面白さは違うのだ。彼女にとってアートの面白さは想像力にある。そういう意味では日常にもクリエイティブな視点が入るだけで、それはもうアートと呼べるってこと・・・!?


 「例えばハプスブルク家のディエゴベラスケスの描いたラスメニーナスとかを見て『あー、世界史知らんと絵理解できひんなー。むずかしすぎ、無理。』ってなるやろ。でもダダイズム以降の現代アートではすべてアートになれる。それはつまり全てアートになれるせいで何もアートと定義できないということにもなる。ならもう、どうでもいいじゃないか。なら、このテキトーで最高なアートの世界を勝手に自由に楽しんでやろうではないか!!って感じやな・・・笑。確かに作り手の視点から見るっていうのは間違いなく分析手段のひとつではある。けどみんなアートの専門家になりたいの?別に作者の意図とは違う解釈でもいい。むしろ私は語り手の意図したものを超えるからこそアートは面白いと思う。私たちはスーパーに行ったら簡単な計算を毎日のようにするけど、税金の計算とかはちょくちょくミスるし、予算合わへんくらいのエラーは日常茶飯事。そこに疑問持たへんのに、アートを見て『あかん理解できひん。無理。』ってなんのはアートが身近じゃないからなんかな…。でも今座ってる椅子1つをとってみてもそこにはアートの長い歴史があって、今当たり前と思って共に生きてるオブジェクトもアートやから、物理的にはめちゃくちゃ身近。それに椅子とかツボについてに真剣に大学で勉強したり、研究する人もいるけど、それってそれだけ私たちの文化にリンクしてて、何百年前と今日を繋いでるものでもあるってこと。素敵やろ?」


 

アートはみんなが思っているほどフラフラしたものではないよ。



 「"分からない"と決めつけるとアートは"難しい"を通り越した世界に感じるんだろうけど、コンセプチュアルアートを学んでいて気づくのは、分析方法次第ではアートはそんなにフラフラしたものではないということ。誰かが作った一見意味のわからない作品も、方法論さえあれば論文をかけてしまう。」


アートを好む人からすればアートをそんな雑に扱うことを嫌いそうだけど・・・?


 「分析して証明できないと社会に訴えられないからかな。だから歴史的に古くから認められてきたアーティストは科学と芸術のどちらもができる人やった。でも私は感じるままにやることしか知らなかった。だから今はフィクションやアートを通じて現実社会の問題をみるっていうことを学んでいる。」


 ...結局かいかいは何を目指しているの?


 「言葉にすると安っぽくなるから私はアートで表現するしかないと思ってる。どんな映画も一文で理解できるプレミス(*)がないと面白くないし、でもなんでか分からないけどそういうのはすごくチープにみえる。ま、だからまず映画をみよ!ってことよな笑。

 自分なりに何かを表現するのが作者の仕事で、それを見て何かを感じるのが私たち大衆の仕事だと思う。そして、現実世界とリンクさせて社会問題を提起するのがアートを学ぶ人の仕事。例えば映画の中で無意識的かつ当たり前に描かれていることが、いかに今の社会を反映しているかとかをみて、現実の理解・問題提起・改善に使う。私にとってアートを学ぶことの目的は主にそれ。」


現実の理解・・・。アートって案外現実的な問題に立ち向かっていたのね。それってアートに無縁な人っていないってことなんじゃない?こんな時だからこそ、アートに親しんでみたいね。



 ちなみに取材の後に「私の夢は全部でプロになることさ!」と語ってくれた。これは先に述べたアーティスト、アートを学ぶ者、そして大衆の全ての仕事においてプロになるってことを指すのだけれど・・・なんだ、やっぱり言ってくれるじゃん!


(*) 短い一言でスバリその作品を言い表す言葉。




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