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モヤモヤ会議室 vol.2

マイノリティにもスポットライトが集まる現代....でも、どこか現実味なくない?

このシリーズでは性的マイノリティに絞って、現実で感じるモヤモヤを解消していくよ。

「これって正しい認識?」「これってタブーなのかな?」「こんなときどうすれば良いの!?」

そんなモヤモヤはスペシャルゲストのしょうちゃんにぶつけて一つ一つ解消よ!



第二回 カミングアウトされたらどうする?



キエ(以下K) 次のモヤモヤは、カミングアウトされたらどうすればいいのか問題。実際私は何回かカミングアウトされたことがあって。一人は出会った時は男の子だったけど久しぶりにあったときには女の子になっていた。最初は誰だかわからなかったの。だって見た目は女の子っぽく変わっているし名前も変えていたから。でも久しぶり〜って言われて色々説明してもらってやっと分かった。もちろんその時にはセクシュアルマイノリティに関する勉強もしていたからトランスジェンダーの存在は頭ではわかっていたし、絶対私はそういう人を傷つけまいと思っていたけど、いざその人を目の前にして、どうやって接すればいいのかわからなかった。名前も前の名前に慣れていたから違う名前で呼ぶのもこちらが気恥ずかしくて全然呼べないし、見た目も男らしさが残っていたからどうしても違和感があって、平静を装っていても心はざわついていた。そこで、カミングアウトされたときに、テンション高めに「へー!そうなんだー!」って無邪気に反応するのがいいのか、逆に当たり前かのように「あーなるほどね」みたいな感じで軽く流せばいいのか、どうしよう!ってなっちゃった。でも逆に違う友達に「自分ってバイセクシュアルなんだよね〜」って言われた時は、全く驚かなかった。というのもみんな同性に惹かれる瞬間ってあるから、みんなバイセクシュアルの自分を見つける可能性はあると思っていて。でもそしたら逆に、これって軽く流しちゃってよかったのか?って不安になっちゃったんだよね。本人にとってはやっぱり大きな発見だったかもしれないと思うと、「へーなるほどね〜」って適当に流しちゃって大丈夫だったかな?って。


しょうちゃん(以下S) あーそれは難しいね笑。僕もカミングアウト問題に関してはいろんな人と話したの。カミングアウトした当事者側とも話たし、キエみたいにカミングアウトされた側の人の話も聞いた。結論から言うと、「人による」っていうのが一番の答えなんだけどね。


K うわーーー!それが一番困るーーー!笑


S 笑笑。まずカミングアウトをする人の気持ちをいうと、まぁこれも結局人によるっていう結論にはなるんだけど、基本的なスタンスとしてはまず、受け入れられないかもという不安感がある。他には今後態度が変わるかもしれないという不安感とか、その子とこれからも友達でいられるかわからないとかいう不安がどこかしらにあるから、やっぱりカミングアウトは大きなことだと思われている。でもその程度も人によって違って、めちゃめちゃ重く捉えている人もいれば、「これが僕/私だから」で終わらせる人もいる。で、カミングアウトされた人に関してだけど、僕は言ってくれたことに感謝はしなくていいかなと思っている。だってそれは勝手に向こうがしていることだから。そして、カミングアウトされたときに心がざわつくのも仕方ない。だって今までそういう思考なんてなかったんだもの。それはカミングアウトされた側の話を散々聞いたからわかった笑。マイノリティがいるってことは知識として知っていても、体験としてそれがないから受け入れられないわけで、心がざわつくのは仕方ないこと。だけどそのあとの付き合い方っていうのはすごく難しいよね。自分のキャパシティを割いてその人との関係を構築しようと思うのだったら、「あなたと良好な関係を築くにはどんなことが必要?」というように、腰を据えて話す時間っていうのは、絶対に要る。でもその後に関してはもう人間関係の構築と一緒だよね。みんなが友達を作るときにするようなことと一緒。


K あー私の場合はカミングアウトからすぐ日常に繋がっちゃったから違和感を引きずったまま困惑していたんだな〜。話さないと、何が正解かわからなくてあたふたしちゃうんだよね。


S あとさっき話したように、カミングアウトをされた後にいう一言として、「これからも仲良くしていきたいと思っているから、僕/私が何か発言したことでこれが嫌って思ったらすぐ言ってね」っていう一言があるとよりその後の話につながりやすいかも。相手が自己開示してくれるようになるから。例えば「メイクの仕方を教えて欲しい」とか「服とか教えて欲しい」とか。だから、別にセクシュアルティがどうだからとかジェンダーがどうだからとかで対応を変えるってよりは、目の前にいる人がどうやったら笑顔になるかって考えるのが最低限必要な心持ちなのかなという結論に至った。


K やっぱりカミングアウトに関してはただマイノリティに関する知識を得るとか、考えを改めるっていうのはスタート地点に過ぎなくて、その後の関係を構築するっていうところまで持っていかないとダメなんだね。根深いよ、これは。


S そう、根深いの。トピックとして重く捉えられてしまうことなので仕方ないんだけどね。でもそれに関してはカミングアウトする当事者が「重く見てください」っていう言い方をしちゃっているから、それは当事者側が良くなかったなって思ってる。どうしてもネット上にはキラキラしたコンテンツか悲しいコンテンツばかりになってしまうんだよね。というのも、カミングアウトって検索したときに動画とかで上がってくるものって『親に拒絶された』っていうショッキングなパターンもしくは『親が受け入れてくれた』っていう感動のサクセスパターンとで二極化している。でもほとんどの人は真ん中なのよ。「言わないし別に何かそのことで困ることもないけど」って人もいるわけよ。だって異性愛者だってそうじゃん。「私、異性愛者なんだよね」とか会話としておかしいじゃん。でもそれくらいのものなんだよ本当は。だから恋愛の話をしている中でゲイの子が仮にそのグループにいたとして、「彼女は?」って聞いたときに「彼氏ね」って言われても「あ、そっかごめんごめん」で本当は済む話。でもね、こういう問題って深掘れば深掘るほど、結局みんな人間だよねって話になる。


K 究極まで行ったなぁ笑。


S それぞれのセクシュアリティのコミュニティの中でもマイノリティっているじゃん。異性愛者の中でもブス専とか美女と野獣カップルとかいう意外な組み合わせとかあったりするじゃない。それと同じことがマイノリティと言われているLGBTQとかの中でも起こったりする。でもそのことを言い始めてしまったら、究極シンプルなのよ。みんな人間だねっていう。一個人一個体として考えたらなんでもない。それが言葉によって変にカテゴライズするから変な話になっているだけで、みんなどこかに片足踏み入れているはずなの。


K そういう意味でしょうちゃんのメディアの名前に ”グラデーション “が使われているんだよね?


S そう。自分っていう真ん中があってその中で色を発しているんだけど、実は他のところとも色が混ざっているみたいな。その感覚で生きている方が楽。しんどくない。所属するジェンダーに関して、僕のイメージは椅子で例えられる。要は男っていう椅子と女っていう椅子があって、その真ん中に立っているイメージなの。で、たまに「あ、この場では男って言う椅子に座っていた方がいいな」って思ったら男の椅子に座ってそれっぽい座り方をする。でも基本ニュートラルに真ん中に立っている。でもそれってただ僕個人の感覚だから、他の人がどうだかはわからない。僕以外の人は島で例えていた。男の島と女の島があって、「私はラッコとしてその真ん中で海で浮いている」って。それぞれの島の中にも離島っていうのがあって、空にはカモメになって飛んでいるのもいるみたい笑。で、男の島の中にも女の島を知らない人もいるし、男の島の中で恋愛をする人もいるし、離島の人が好きになる人もいるし、男の島の中でもちょっと自分違うかもって言う人もいるし、片足海に付けている人もいるし、ラッコになりかけの人もいるって。ま、それもその人の感覚でしかなくて、多分それぞれの捉え方のすり合わせがいるんだよね。


K でもそもそもしょうちゃんがそうやってジェンダーを使い分けているっていうことも知っているといいよね。多分知らなかったらさ、また混乱してしょうちゃんとはどうやって接すればいいのかわからなくなっちゃいそう。


S そうそう。だからちょっと時間をとって話すというのは必要なのかな。だって僕たちでも椅子と島っていう全然違う表現をしていたんだもん。ま、世界ってそうじゃん?いろんな人がいるわけで笑。その中でなんとなく用語づけしないといけないみたいな風潮があるから今ちょっとごちゃごちゃしているんだと思うんだけど、シンプルに考えると、「そういう人もいる」で多分終わるんだよね。


K そうだよね〜。そう、これはジャンダーとかにかかわらず、誰と話していてもそうなの。私は結構傷つける/傷つけられるとかに敏感だから、人とのコミュニケーションは結構考えちゃうんだけど、さっきのように自分は一個体で相手も一個体っていう風にちゃんと理解していると楽かも。あと、最近はLGBTQとかトレンドじゃん?だからこうやってマイノリティの人に対して「これは大丈夫?」「これってダメなの?」ってちゃんと聞く機会って増えたけど、逆にマジョリティに属している人にこそそういう話がしにくいよね。「これって傷つく?」とかいちいち確認するのもちょっとおかしな話だし。でも、一つ一つ話して確認とまでは言わないけど、そもそもジェンダーとか気にせず一個体として一人一人と向き合えたらいいなと思う。


S 自分の目の前にいる人とか、今関わりを持っている人ってどんな人なんだろうって思ったときに、意外と全然知らないことに気づくんだよね。でも、どうやったって一人一人のパーソナルなところまで完全に理解することって不可能なのよ。じゃあ僕たちに何ができるかっていうと、周りにいる人が心地よくいられるにはどうしたらいいのかっていつも考えることと思うの。それができたらどこに所属していても心地よい関係が築けるし、心地よくない時があっても、お互いに修正し合うことができると思っているよ。

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